空也ノート

1.諸言

空也。今からずいぶん昔のことになるが、京都に十年ばかり住んでいた頃、最初は折角京都に来たのだからと神社仏閣を巡り歩いていたが、六波羅蜜寺を訪れた際、ちょうど四条寺町辺りの土産物屋で買った翡翠色の、勿論本物の翡翠ではなくプラスチック製ではあったが、腕念珠をしていたことから受付の老人がそれを一瞥するなり「どうぞお入り下さい」と拝観料なしで入れてくれたのを覚えている。

妙な話ではあるが、その時初めて歴史の教科書でよく見たあの空也像がこの寺にあることを思い出したような次第だった。ことほどさようにこの時点ではまだ空也というものの存在が自分のなかでは希薄であった。あの口から六体の仏を出している斬新なデザインの像ほどの認識しかなかったことは確かだ。しかしこの寺の受付での一連の光景は何故か今でも鮮明に覚えている。

その際に見た空也像は実はあまり記憶にない。しかし想像していた姿よりかなり小さなものだったことに感慨を抱いた記憶はおぼろげながらある。

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By ASUKAEN – ASUKAYEN, HISTOIRE DES BEAUX-ARTS JAPONAIS, TOYO-BIZYUTU, n. SPECIAL 10e. 1933, Nov., Nara, Japan, パブリック・ドメイン,Link

学生時代には独学で天台の勉強をしていた。後の鎌倉仏教に繋がる日本天台、なかでも本覚思想に惹かれたからだった。島地大等の「天台学概論」を始め各種専門書を手当たり次第読んだのものこの頃だった。

平楽寺書店版の真訓両読法華経を始め、国訳一切経華厳部全4巻を購入し、維摩経、勝鬘経などの大乗経典を天台智顗の眼を通してみた世界観を一つのガイドとして通読したのもこの時期だったと思う。しかし独学には限度がある。専門の経済学の単位も取らなければならない。その後、就職して以来、折に触れ仏教の絢爛たる世界観に惹かれつつ臨済系寺院で参禅をしたりしていた。

しかし、それまで親鸞や真宗系学者である曽我量深、安田理深などに一時期惹かれたものの、浄土系の教学については何故か肌に合わなかった。余りにも洗練され観念的になりすぎた感があり、結果としてあまり惹かれなかったというのが正直なところだった。観念としては非常に美しい理論ではあったが、どうにもそれを自分の内に取り込み咀嚼するには、自分の皮膚感覚からして遠すぎる気がするのだった。

次第に浄土からは離れ、むしろ禅の世界に惹かれていった。禅的解脱とはどんなものか、心身脱落とはどんな境地なのか、しかしこれも類書を読むにつれ実際に修行してみないことにはどうにもならないという、隔靴掻痒の感に囚われるのだった。

その後、念仏というものは元来、鎌倉仏教におけるある意味ソフィスティケートされた、高度に洗練された観念とでもいうべきものとは異なっていたのではないかと思うようになった。平安仏教における念仏というものは、もう少し土着的な、ことによると神道における言霊の要素なども多分に含んだようなものだったのではないか、あの空也像を思い出しながらそう思うようになった。 空也は我国における念仏の開祖と言われるが、これを掘り下げて調べてみたくなった。本サイトはその調査の過程を纏めるものです。

2.文献

      • 撰集抄(岩波文庫にあり)
      • 本朝皇胤紹運録
      • 閑居友(第4話。岩波文庫版)
      • 打聞集
      • 本朝高僧伝
      • 元亨釈書(巻第14)
      • 日本往生極楽記
      • 空也誄(続群書類従版 虫喰いによる欠字あり)
      • 空也誄(宮内庁書陵部蔵旧九条家本。欠字を補う全文あり)
      • 度録交名帳(光勝にて得度した経緯)
      • 日本紀略(大般若経六百巻の書写)
      • 蔡集和伝要(修学の内容)
      • 和漢三才図会(衣服、姿、鹿革の引敷など)
      • 一遍上人絵伝(空也を踊り念仏の開祖とする旨の記述)
      • 空也上人絵詞伝
      • 宇治拾遺物語(空也上人の臂を観音院の義僧正が祈り治すこと)
      • 融通念仏縁起絵巻(鉢叩きの姿)
      • 堀一郎. (1963). 空也 (Vol. 106). 吉川弘文館.
      • 堀一郎. (1953). 我が国民間信仰史の研究 (Doctoral dissertation, 東京大学).
      • 平林盛得.(1981).聖と説話の史的展開.吉川弘文館
      • 石井義長. (2009). 『為空也上人供養金字大般若経願文』 再考. 印度學佛教學研究, 57(2), 632-636.
      • 田中夕子. (2002). 説話における空也の研究-『空也誄』 との比較をとおして. 印度學佛教學研究, 50(2), 600-602.

3. 年表

延喜3年(903)      空也生誕。
延喜19年(919)     優婆塞として社会事業。死者への回向など。
延長2年(924)      尾張国分寺にて得度。
延長7年(929)      この頃、播磨峯合寺にて修行。
延長8年(930)      この頃、四国湯島にて修行。
承平4年(934)      この頃、奥州遊行。
天慶元年(938)      京に入り念仏を勧進する。市聖と呼ばれる。阿弥陀井を掘削。
天慶4年(941)      この頃、囚徒を教誨、獄舎門に塔を建てる。
天暦2年(948)      比叡山にて受戒。名を光勝とする。
天暦5年(951)      十一面観音、梵天帝釈四天王像を制作。洛東に一寺を建立(西光寺の前身)。
応和3年(963)      金字大般若経を書写し供養会を挙行する。
康保4年(967)      西光寺門前にて蛇と蛙を度脱する。
天禄3年(972)      9月11日、入滅(西光寺にて)
※堀一郎. (1963). 空也 (Vol. 106). 吉川弘文館. より引用。

4.