抜けてゆく

現在服用しているステロイド剤、プレドニンはその量を漸減してゆくのがセオリーだが、どうもそれに反比例するように体がしんどくなってくる。減れば減るほどつらくなる。抜けてゆくとその分慣れるまではつらい。

このつらい、しんどいというのは曖昧な言葉だが、だるい、眠い、何か調子が悪い、といういわば不定愁訴とでもいうべきもので、他人に説明するのは殊のほか難しい。しかしこれを医師には言わなければならず何とか伝えようとするのだが、そもそもそんなことは百も承知のようで、余程の副作用でもない限り何か調子が悪い位のことを訴えたところで原病の治療に優先して対処しなければならないということにはならない。

何だかんだと言いながらしばらくは我慢しつつ、というより見て見ぬふりをしながら世過ぎすることになるのだろうと。

いつも縁あって寄ることの多いお寺さんは京都の知恩院や長野の善光寺と同じ宗派の浄土宗なのでご本尊は阿弥陀如来だ。造営されてから300年以上は経っているらしい。近くに寄ることがあって時間が少々あれば香を点じて手を合わせたりする。

この間も時間が空いたし久しぶりに近くに寄ったのでお参りした。堂宇には誰もいないことが多くその時もやはり私一人だったが、いつもながらに空間が非常に濃密で、誰もいない筈なのに大勢の人がひしめいているような感覚がある。

あぁ、これはこの仏様にお参りする人が多いのだなと感じる。お参りするのは何も生きている人だけではないのだ。この今も、誰もいない堂宇を所狭しと自分の前後にも列をなし続々とお参りする人がいるのがはっきりと分かる。

ひとしきり手を合わせた後、帰りしな堂宇を出つつ振り返ったその際、何か心のなかのわだかまり、くすぶり膨れていた不安などの嫌なものが一瞬、すっと消えた気がした。

あれ、何であんなに不安や煩悶を抱えていたんだろうと不思議になるくらいの呆気ない感覚だった。何か余計なものをここで捨てた、というよりストンと抜けたというような、今まであまり味わったことのない感覚だった。

その後、多少の余韻はあったが雑事にかまけているうちに何となく忘れてしまった。
しかしあれは何だったのか。またそういうことが起こるのだろうか。いやこの小さな感覚があったことで何か少し気が楽になったような気もする。