外傷性逆転移

なかなか思い出せなくてもどかしい思いをしたが、やっと思い出した。そうだ、外傷性逆転移というのだった。

PTSDにもいろいろな形態があるそうだが、他人のトラウマについて話を聞くことであたかも自分がそのトラウマの当事者になってしまったかのように心的に受傷することをいうらしい。自分は専門家ではないので理解に誤りがあるかも知れないが、要は「心の貰い傷」だ。

他人の相談に乗っているうちに自分も他人の、特に重いトラウマを追体験してしまい、実際に体験していないのに心に傷を負ってしまう。カウンセラーや精神科医などは常にそういう危険に晒されているのかも知れない。

Wikipediaによると、「二次受傷」の説明にこうある。

二次受傷(にじじゅしょう)とは代理受傷、共感性疲労、外傷性逆転移と呼ばれている現象の総称であり、犯罪や災害、事故、戦争などの悲惨な体験を負った人の話を聞いたり、現場を目撃することで自らは体験していなくても、被害者と同様の、PTSD症状をしめすことである。

随分前のことだが、関西に住んでいた頃に偶々少しばかり知り合いの手相占い師が、一日に2、3人を観るとぐったりしてしまう、人と話すのはむしろ好きだが、自分は共感することで他人に分け入って行くタイプの占い師なので、特に重い相談内容が続くと本当に疲れると言っていた。これなどもまさしく外傷性逆転移だし、むしろ彼女はこれを道具にして生業としているようだった。

この間、神保町のとある喫茶店で友人に彼の仕事に関する話を聞いているうちに自分も同様の体験をした。彼の会社では業績が芳しくなく、ある程度の年齢の社員がリストラの対象になっているらしい。希望退職で手を挙げなかった人は会社には残れたものの、針のむしろのような地位とこれまでしたことのないような仕事を与えられ毎日が辛いのでいっそ辞めてしまおうかと。しかしここで辞めると会社の思う壺となることを思って辛うじて踏み止まっているという話だった。

友人の話に義憤を感じながら、自分でも気持ちがかなり不安定になっているのが分かった。
すっかり忘れていたこれとは関係のない過去の嫌な体験まで芋づる式に心の表面に浮かび上がってきて思わずたじろいだ。

こういう話を聞く際には、聞く側にある程度の「受け流すスキル」が要求されるのかも知れない。

上記の用語では共感性疲労というのが最も分かりやすい言葉だと思う。
代理受傷というと何かキリスト教的なイメージもある。代受苦を連想するからかも知れない。これなど、自己犠牲のもと、進んで他人の苦を受け入れるような宗教的な感じもある。

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