中学の頃は写真部だった。写真部といっても撮影のイベントはまるでなく、各自勝手に写真を撮り、理科室の一隅に暗幕を掛けて作られた暗室でモノクロの現像引き伸ばしをやるのが専らだった。
私は父親に借りたコニカC35にネオパンSSを詰め、休日に学校の周辺やら級友、家族の寝姿や路傍の地蔵などを撮った。放課後、理科室に集まった部員各々がダークバッグに手を突っ込んでタンクにフィルムをセットし現像に取り掛かった。多分ミクロファインを使っていたと思う。
突然友人が素頓狂な声を上げた。何にも写ってない。失敗だ。何故なんだ。大方、現像液と定着液を間違えたか何かしたんだろうと思いながら口には出さずにタイマーの針が8分を指すまでゆっくりと攪拌を続けた。酢酸で現像を停止させ次に定着液を入れる。しばらくしてフィルムをタンクから引き出すと小さな方形のなかにかつて見た世界が理不尽にもことごとく反転されているのだった。
この魔法のような瞬間に、酒も飲めない中学生の自分は毎度酩酊した。思うに写真という秘儀は暗室のなかで行われるがゆえに秘儀たり得るのであって、今のデジタルは果たして写真と言えるのか、いまだに疑問だ。
使い古した定着液のなかに十円玉を入れて取り出すと、あたかもメッキをしたように銀がコーティングされるのが面白くてよく遊んだ。部員の誰かが学校近くの駄菓子屋のおばさんならばこの10円を100円玉と間違えるだろう、ジャンケンで負けた者がこれで梅ジャムせんべいを買って来るのはどうかと提案した。負けた某君が、あのおばさんは近眼のようだが実は目がいいんだよ、出した瞬間に見破られてひどく叱られたと言うのを聞いて皆笑った。
印画紙は月光3号のキャビネ判を使っていた。バライタだった。まだレジンコート紙は出ていなかったのだ。水洗後にフェロタイプ板にローラーで張り付けて熱乾燥させるのだが、張り付け方が悪いとムラになる。その加減が難しくてなかなか上手くいかなかった。今思うと乾燥機が安物だったからではないかと思う。(続く)