降り込められる

折角の三連休が台風に降り込められることになった。一日中家にいるのが勿体無いので今週はまた休みを取ろうかなどと考えつつ、テレビでアナウンサーが台風が連休で良かったですねなどと発言するのを聞きながら、連休が取れるのはサラリーマンだけであって、こんな台風の今日にサービス業やその他幾らでも外に出なければならない人はいるだろうに思慮の足りないことだと思ったが、確かに通勤客でごった返す平日だったならばさぞ混乱しただろうと思う。

京都の桂川が決壊し渡月橋の辺りが浸水しているのを見て心が痛む。以前京都に通算八年ほど住んでいたことを想うとなおさらだ。鴨川の床もかなり被害を受けたのではないかと心配だ。このニュースを見ながら保津川下りの終着である渡月橋を境にして保津川から桂川という名前に変わるという昔誰かに聞いた話を思い出した。同じ川なのに名前が変わるのは歴史的な謂れがあるのだろうと思うが、何にせよこういう物と物との境、いわゆる境界というのは民俗学的に言えば魔の潜むところであって辻や橋などは代表的な境界だ。橋の造営には古代には人柱を立てただろうし、辻では行路病者が幾人も亡くなっていただろう。こういうものの力を借りて占うのが辻占であり橋占だったのだろう。

こんな話をモチーフとして以前、この渡月橋や四条河原町の交差点でトライXを詰めたオリンパスOM-1を腰のあたりに構えノーファインダーで往来の人々を撮影したことがあった。自分も歩きながらすれ違いざまにシャッターを切るというスタイルだったが、これは多分、北島敬三の真似だったと思う。今でも探せばネガファイルにあるかも知れない。取り止めもなく。

写真は最近縁のある本所回向院の守り猫、らっこちゃん。
さて、何処にいるでしょう?