はちがつのあついひび

つい先日の六月、従兄弟が亡くなり遠方まで行けない母親の代わりもあって葬儀に参列してきた。
その後、四九日に予定していた丁度その日に、亡くなった従兄弟の母親が彼を追うようにして亡くなった。予定していた法要を急遽変更して葬儀が再び執り行われた。自分もまたついこの間行ったばかりの葬祭場にまたしても行くことになった。

従兄弟はまだ若かったが、母親は大正生まれだ。長く入院していた末に静かに息を引き取ったらしい。
喪主を務めた従兄弟の妹は、母親は息子と一緒に埋葬されたかったのだろうという。四九日を超すと先に従兄弟のお骨が埋葬されてしまうからその日に合わせたのだろうと。

そんなこともあるだろうと素直に思う。母親とはそういうものだから。
息子が一人でゆくのが心配だったのだろう。そういうことは確かにある、と思う。

* * *

最近、物事に対して批判的な見方を敢えて避けるようになってきた。
批判的な見方というものは自他に対立軸を措定する。乱暴に言えばつまりは喧嘩と同じとも言える。そういうことに疲れてしまったというのもある。

逆に物事を批判的に見ないというのは生きてゆく為の道具を一つ捨ててしまうことでもある。
何でも鵜呑みにする訳ではないが、しかしそういうことに乗らないことで得るものの方が大きい気がする。はたから見れば阿呆に見えるかも知れないが、この方がどれだけ精神を楽にするか、そのことの方が大事と思える。

強迫神経症というのがある。今は強迫性障害というらしい。
医者に正式に診断されたわけではないが、自分はその傾向が強いと思う。そのことで苦しむこともある。しかしそのとき冷静に自分を見ている自分もいる。彼は自分の中のコアな部分かも知れないし究極の他者かも知れないが、しかしいつかその自分との邂逅を果たしてみたいと思う。

そんなことを思っている間にこの八月の異常な暑さだ。やりきれない。

サイト名は葛原妙子の歌、

他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

からの着想。

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