おきかわる

この間のエントリで葛原妙子の歌の上の句、他界より眺めてあらば、を何故か彼岸より眺めて、と勘違いしていたことに気付いた。あとで慌てて修正したのだが、確かに彼岸という語の持つ仏教的な語感は彼女の歌にはそぐわない気もする。もっと硬質で西欧的な幻想が彼女の世界観なのだろうと思う。

こういう思い違いというのはままあるが、葛原のポートレートが自分の頭の中でいつしか神秘思想家のブラヴァツキー夫人のそれと置き換わっているというオマケまである。勿論全然似ていない筈が、何故か置き換わっているのが不可解だ。

その勘違いのままにサイト名を付けてしまったという笑い話なのだが、この笑い話をべつの言葉で言えばつまり何かの縁と牽強付会してサイト名はそのままにしておこうかと。

* * *

近所に猫がいる。全部で四匹が全て飼い猫でそのうち一匹が他の三匹とは別の家の猫だ。
この一匹は三毛で名前をミケと呼びたいところだが自分のなかではチビと呼んでいる。
試しに声に出してチビと呼ぶと振り向く。少し驚いてミケ、と呼び直したらやはり振り向いた。
どうも何でもいいみたいだ。まだ若いがちょっと上品な感じもする。

問題は他の三匹の猫だ。この飼い主は家でトイレの躾をしていないために、近所のあちこちでふんをする。この間も空き地でふんをされた地主が怒っていたが、地面を整地すると今度は隣の家の境にし始めた。風の吹き具合では少し臭う。しかもその家は不在がちなのでなかなか片付けない。
そもそも他人の家の猫の始末を何故しなければならないのかという気持ちもあるだろう。
飼い主も少々変わっていてどう逆恨みされるか分からないためになかなか文句が言えない雰囲気なのも難しい。

私の庭もひと頃被害に遭ったが百円ショップの猫避けで諦めたらしい。

このチビの飼い主は親の友達で人当たりの良いおばさんだ。チビは四匹といつも一緒に行動しているのだが、このふんに対する怨嗟は何故か他の三匹に向けられている。ふんをしているところを誰も一度も見たことはないのだが、近所でも何故かこの一匹は除外の対象になっている。つまり怨嗟の矛先は猫ではなく飼い主に投影されていて、実際チビも一緒になってふんをしているのかも知れないことは問題にされない。置き換わっている。

いっそのこと、あちこちでふんをされる位なら私の家でトイレを用意してあげようかと考えたが、やはり何で他人の、と怒りが湧いてきた。当然、この怒りは三匹に向いている。

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